船坂芳助「No.317 White Space」1972
作家紹介
Jiro Yoshiwara
吉原治良(1905〜1972)
1905年大阪市生まれ。吉原製油社長。1938年東郷青児の主催で「九室会」を結成する。戦後の1952年「現代美術懇談会」結成を経て1954年「具体美術協会」を結成。メンバーは関西の若手作家で、嶋本昭三、山崎つる子、上前智祐、吉田稔郎、岡田博らが参加。翌年の1955年 新制作協会の白髪一雄、村上三郎、金山明、田中敦子らが合流。続いて元永定正が加わった。
具体美術はそれまでの美術へ対する挑発ともいえる「人の真似をするな。今までにないものをつくれ」が吉原の考え方であり、野外展「真夏の太陽にいどむ野外モダンアート実験展」をはじめとした作品の発表や機関紙「具体」の発行などの活動がそれまでの芸術運動にはない特異な活動を続けた。やがてそれらは、フランスの批評家ミシェル・タピエによって「アンフォルメルの日本における一例」として広く海外へ紹介され、今日に続く海外での知名度が高まった。 1962年具体美術協会の本拠となるギャラリー「グタイピナコテカ」を開設。吉原自身も円形を題材にした多くの作品を描き、多くの作品を発表したが、吉原はむしろプロデューサーとして時代を牽引した印象が強いように見受けられる。1972年2月67歳で早すぎる死去。同年、具体美術協会解散はしたが、その先駆性とともに、吉原の起こした具体美術は日本における抽象芸術の原点として位置づけられた。
近年も2012年「『具体』-ニッポンの前衛 18年の軌跡」(国立新美術館)、2013年「具体:素晴らしい遊び場 Gutai: Splendid Playground」(NYグッゲンハイム美術館)などで回顧展が開かれ、具体の作品群は現在もなお最上級の評価が続いている。